こんなことがありました。

郷土の発展に尽くす:4年

 10日(火)、4年生は、星周一先生を講師として招聘し、「円蔵堰・岩上神社・飯田堰」の見学学習に出かけてきました。この日は、雨が降る寒い日でしたが、4年生は元気に出発していきました。

 この学習は、「円蔵堰や円蔵の生家」「岩上神社」の見学を通して、谷に囲まれた下郷の地に水を引いた先人たちの業績を知り、郷土を想う心を、目で見て肌で感じてくることをねらいとして行いました。

 「円蔵堰」は、倉村から楢原にかけての田に水をひくための用水路であり、1814年、塩生にあった呉服商を営んでいた弓田円蔵という人が、工事費2500両(今のお金で1億1250万円もの私財を投じて、村人と一緒に堰を作ったこと、用水路に水が流れるように勾配をつけるために、夜に提灯を使って高さを計りながら水路を作ったそうです。また工事の途中、大雨で何度も水路が壊されたり、2km進むのに8年もかかったりして、くじけそうになる村の人々を励ましながら、21年もかけて完成した水路だそうです。

 そのおかげで、米作りができるようになり、今はこうしておいしいお米をたくさん食べられるようになり、生活が豊かになっていったということを教えてもらいました。

 秋雨で手がかじかむような寒い中でしたが、円蔵さんという人の業績、倉村や楢原の人のために何とかしたいという想いを、熱心にメモする子どもたちでした。

 場所を移動し、今度は「飯田堰」を見学しました。「飯田堰」は、中妻や水門地区をうるおす用水路で、「飯田堰」とも「中妻堰」とも言われているそうです。中妻地区は大川の作った丘の上あるため、田に水をひくことができず、昔は畑しかなく、1672年、お奉行様の飯田兵佐衛門が、村人たちの願いを聞き、村人と力を合わせ、山をくりぬいて800mのトンネルを掘り、約4㎞もの堰を作ったそうです。この飯田堰によって、中妻地区でも米作りができるようになり、生活が豊かになったということを教えてもらいました。

 見学学習を終えた子どもたちは、「この下郷にはすごい人たちがいたんだなぁ。」「みんなのためにできることに一生懸命に取り組んだ人たちがいたんだなぁ。」「昔の人たちのおかげで、今はおいしいお米が食べられるんだなぁ。」「みんなの幸せのために頑張ってくれた人たちがいたんだなぁ。」などと、感想を述べていました。