こんなことがありました。

2024年7月の記事一覧

下郷町青少年の主張発表より③

下郷町青少年の主張発表より③
 7月10日に開催されました下郷町青少年の主張で発表した中学生代表の主張発表を紹介します。

   「自分らしさ」ってなんだろう

 皆さんもきっと一度は聞いたことがある言葉だと思います。親、先生、友達から言われた経験もあると思います。悩みを相談すると、必ずと言っていいほどそんな答えが返ってきます。では、その自分らしさとは何か、悩みを抱えている自分は「自分らしく」できていないのか、それらを少し考えてみたいと思います。
 はじめに、インターネットで「自分らしさとは」と入力して調べてみると、こんな回答が出てきました。『自分らしさとは、一般的には、他者にとらわれず自分の価値観や性格を尊重している状態のこと』ここで私が着目した点は、「尊重している状態」という点です。もし、自分の価値観を自分で否定していたら、それは「自分らしさ」ではなくなってしまうのでしょうか。
 次に考えたのは、「自分らしく」という言葉が使われる状況下についてです。冒頭で言ったように、個人的には悩みを相談した際の返答やアドバイス等で使われることが真っ先に思いつきました。また、もう少し考えてみると、エッセイや物語等でも、よく「自分らしさ」をテーマにしているものを見かけます。そこで感じたのは、「皆、結局は自分らしさなんてわかっていないのではないか」ということです。
 でも、結局のところ、わからないからこそ、「自分らしさ」を題材にして突きつめて、自分なりの「答え」を見つけ出したいのではないかと思うのです。
 さて、これまでは「自分らしさ」とは何かということや必要性等について述べてきたのですが、ここまで「自分らしさ」について気になったのには理由があります。それは、私が人間関係などで悩んでいた時、相談した人に、「自分らしく生きていいと思うよ」と言われたとき、その言葉にピンとこなかったからです。「自分らしさ」が大切だということは十二分に理解しているつもりなのですが、わかっているのは重要性だけで、それ自体のことについて知ろうとは思わなかったということに、その時気づきました。そのため、相談に乗ってくださった方とのお話の後、暫く「私の自分らしさ」について考えてみたのですが、しっくりくる解答は見つかりませんでした。元気で明るく振舞っている…それはあくまで繕っているだけ。ネガティブですぐ思い悩んでしまう自分がいる。でもそれは、果たして「自分らしさ」の定義としてある「尊重」に基づくのでしょうか。そのように色々考えても結局「これは違う」となってしまうのです。自分の知る自分の姿があって、それを肯定したい自分も、否定したい自分もいます。
 しかし、「はっ」とさせられる出来事が起きました。その日は新たな視点として、別の人に「自分らしさ」について聞いてみたときでした。正確には、私自身が「自分らしさ」について悩んでいて、貴方から見た私という人物を教えてほしい、という相談をしたのです。するとその人は、こんなふうに回答してくれました。「全部ひっくるめての自分らしさじゃない。自分らしさが一つなんて限らないでしょ。」客観的に見た自分も、今こうして悩んでいる自分も全てが「自分らしさ」だというのです。「その通りだ」と思いました。自分を形作るものが一つであるわけはなくて、自分の目に見えないものにさえ支えられて生きているわけなのですから、そう言われて納得しました。
 きっと、私と同じ年頃の人たちにはいると思うのです。「自分らしさ」とのギャップに悩んでしまうという人が。そんな人に、伝えたかったのです。自分で「自分らしさ」の限界を決めたり、見限ったりなどしないで、全部をひっくるめて「自分」なのだと認めてほしいと思ったのです。皆さんが考える「自分らしさ」とは何ですか。すぐにパッと答えを出せた人は何人いるでしょうか。一生かかってもこの問いは解けないかもしれません。私自身も模索中です。皆さんの思う自分らしさ、皆さんが見つけた自分らしさ、まだわからない不確かな自分らしさ、全部大事にしてください。それだけできっと、貴方は自分を認められているはずです。

 

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